tamatitl.gif

keititle.gif

天然理心流開祖菩提寺

中央高速八王子出口から国道16号線を昭島方面に約2km北上し、滝山街道を東京サマーランド・五日市方面に左折。4kmほど直進すると戸吹十字路が見える。そこを越えて約50m先の右側に「曹洞宗桂福寺」がある。朱塗りの楼門が目印である。ここが、武術・天然理心流開祖近藤内蔵之助、第二代近藤三助の菩提寺である。天然理心流の聖地として知られている。

境内に入ると本堂の左手、墓地の入り口に「剣聖光武神」と大書された屋根付きの墓石が3つ並んでいる。右手にある小さな墓石は天然理心流開祖・近藤内蔵之助の墓、左手が同流第二代の近藤三助のものである。真ん中は昭和の作で、前記2名の宗家の名が併記された墓石である。三助の墓石の後ろには、瀧上剣七世ら現代に天然理心流を継承している人々の名が列記された奉額が掲げられている。日野の八坂神社に奉納されている奉額に模して、飾り木刀が二振り取り付けられている。

天然理心流開祖近藤内蔵之助の墓は次の3ヶ所にある。

日蓮宗天霊山妙久寺(江東区北砂町2−2−40)
曹洞宗治龍山桂福寺(八王子市戸吹町193)
法華経学陽山勧行寺(横浜市西区南軽井沢9) 

妙久寺の墓が墳墓で、ここに内蔵之助の母と内蔵之助、そして、その息子が埋葬されている。残る二つは墓碑である。桂福寺の墓は、天然理心流宗家二代目を継いだ近藤三助が自宅坂本家の墓地に墓を作り、後に桂福寺に移したもので、内蔵之助の妻とその娘と思われる法名が内蔵之助の法名の右側に並んでいる。おそらく内蔵之助の死後、その妻子の面倒をみていて、彼女らが亡くなったのち墓を建てたものと思われる。勧行寺の墓は、側面に桑原昌英(桑原英助昌英は天然理心流の師範代を継承し、のちに天然理心流別系三代目を継いだ)の名があり、天然理心流初代近藤内蔵之助の供養を行ったおり建てたものと考えられる。

「剣聖光武神」額

現代天然理心流門人奉額  
慶応4年(1868)年4月、天然理心流宗家第4代=新選組隊長近藤勇が朝敵として板橋宿で斬首された。近藤内蔵之助、三助がその縁につながるものとして、官軍側からの罪の禍を蒙ることを恐れて、当時の坂本家の当主は墓石の処分を考えた。そして、三助の墓は大きいため小さく砕き、内蔵之助の墓石は小さいのでそのまま深い穴を掘って埋めてしまった。

昭和44年10月16日に地元の人たちの協力により、立派な黒御影石に内蔵之助と三助の戒名を彫った墓石が、桂福寺境内に建立された。坂本家には代々墓石を処分した話が伝わっており、新しい墓石が建った翌年(昭和45年)に坂本家の子孫と、三助の門人松崎正作の子孫によって発掘され、100年の永い眠りから再び甦った。墓石は深さ1.5m位のところに埋められてあったという。三助の墓石は粉々になっているので一つ一つ掘り出し、この墓の復元について八王子郷土資料館に運び修理を依頼し、半年ほどかけてその復元が完成した。

復元された内蔵之助と三助の墓石は、黒御影石の墓石の左右に安置されている。

昭和44年建立の墓石


place.gif 桂福寺

[所在地]八王子市戸吹町193

TEL:0426-91-0246

[最寄駅]JR八王子駅より京王バス「サマーランド」行き「」下車。徒歩3分

駐車場有(墓参者専用)


「トップページに戻る」 「マップページに戻る」
三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com